今里 純はすごかった

評伝を書いている。出版予定は来年7月だが、気持ちの準備としては「本年度中に脱稿」のつもりで書かないといけない。タイトルは「ベースボールと野球を繋いだ男」。出版元は(株)ヘソノオ・パブリッシング(代表 越川 誠司)。

 「生まれ育った兵庫県北播磨、経緯度上で日本列島の中心点にある「日本のヘソ」=西脇と多可発で本を創り、県内はじめ全国へと、できれば世界へと届けてみたい。

 そんなことを想いたちました。

 西脇と多可はまた、播磨・丹波・但馬・淡路・摂津が合わさった「ひょうご五国」の多様性から「日本の縮図」とも呼ばれる兵庫県の、そのほぼ真ん中に位置しています。

 山の樹々の緑と穏やかな川の流れ。自然の恵みに富むひょうごローカルの暮らしに根差した、読み手の五感に響くような本。

 紙の匂いと手触りを味わい、心弾ませページを捲る、愉しい読書のひとときへと誘う本。

 末永く手に取って慈しみ、大切に読み継がれるような、佇まいの美しい本。

 そんな一冊を産み出せたら・・・」

 新たなチャレンジに胸の高まりを覚えている越川代表が納得いく本を書かなくてはならない。文学的であり、研究書的なものを。そう思うと書き出すまでは熟睡できない日が続いた。西脇が生んだ稀有な大リーグ研究家・今里 純さんをわたしの力量で描くことが出来るだろうか、と。

 そうして1月中旬から書き始めてやっと40頁まで筆は進んでいる。そして分かったこと。戦後の自由な雰囲気の中での歯科大学生活。今里さんはそこで野球を愉しみ、英語を身につけけ、作業中の米兵捕虜と会話を重ね、FENのラジオ放送で大リーグ中継を聴いてはスコアを書いた。日本の誰にも知られず黙々と12年書き続けた。大リーグ関係者からは「ドクター・ジュン・イマザト」は「世界一の野球ファン」と認証されながら、日本では無名の人。

 ところが1958(昭和33)年のセントルイス・カージナルス来日で今里の名は日米両球界にパッと拡がっていった。その時に受けたラジオ向けインタビューの内容が判明した(越川代表の尽力による)。英文が和訳できた。まだまだ日本人が「敗戦コンプレックス」を残していた時代のこと、今里先生はアメリカ人相手に堂々と流ちょうな英語で渡り合い、ジョークも交え、彼らを圧倒した。

 カージナルスの大スター、スタン・ミュージアルが来日と同時にいったという。「ジュン・イマザトに会いたい」。今里は試合前、あるいは試合最中にカージナルスの専属アナウンサー・ガラジオラからインタビューを受けているが、その声はミシシッピ・バレー(6州にまたがる広い地域)に流れている。

 和訳直後の越川さんが書いている。「元コミッショナーのフォード・フリック氏の言葉を見てもわかるように、大リーグ関係者が日本の野球ファン、ひいては日本人に対して好意的な眼差しを向けるのに、今里氏は多大な貢献をした」。

 「評伝」を書くことは集中力と根気がいる。目が疲れたり、構成が決まらなかったり。そんなときは今里さんが毎夜6時から9時まで行っていた儀式、「ラジオを聴きながらスコアをつけ、大リーグの資料に目を通しながら左手で丼をかきこむ」ことを思い出しながらパソコンに向かっている。

 「評伝を書く」ことは対象の人物といっしょにアメリカを旅することだ。今は朝から眠るまで、「ジュン・イマザト」とアメリカの風景が頭を支配している。もし、書き終えたら、自分として一段の高みに(人間として)のぼれるように感じているが。

 今日は午後から「たつの市新宮町」で開催の播但地区協議会へ出向く。11日(日)は西脇軟式野球協会の審判講習会と総会。22日(木)は北兵庫地区理事長会。23日(祝)は神戸市の「まちづくり会館」で県連盟の常任理事会と、軟式野球のシーズン開幕を告げる行事が続く。忘れてはいけない、わたしは古希野球の選手だ、14日(還暦)、19(古希)と練習試合が始まるのだ。まだまだ「プレッシャー」を感じる生活が続く。

 

  

スポーツちょっといい話 ~ 還暦野球オヤジのスポーツ・コラム~

スポーツの「ちょっといい話」を書いていきます。還暦野球の素晴らしさ、アメリカでベースボールをとおして異文化交流を味わう喜び、などを読者の皆様にお伝えさせていただきます。

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